【経済学は】ポストモダンの経済学【ダメダメ】
economy/0879 / 4 レス / 2004/02/14〜2004/03/16
- 1 :えばんわときんす:2004/02/14(Sat) 02:33
- http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4478210462.html
合理的個人の経済行動が社会的最適なんて心理学的にエディプスコンプレックスで・・・・うんぬん。
ポストモダン的に経済学を批評しましょう♪ すごいです。無教養な経済学徒には理解できないかもしれませんが。例えば、以下。
「情報は、木がテーブルの原材料であるのとまったっく同じように、知識の原材料である。......情報を知識と峻別する際に認識すべき重要な点は、情報は本からコンピュータのディスクまでさまざまな生物ではない物体の中に発見できるが、知識は人間の中にしか発見できないということだ。......情報は、知識を持った人間がいて生産的な目的に利用しない限り、無用なものである」(Crawford, Richard, In the End of Human Capital: The Emergence of Talent, Intelligence, and Knowledge as the Worldwide Economic Force and What It Means to Managers and Investors, New York, 1991. 10P ) - 2 :名無しさんの冒険:2004/02/14(Sat) 02:35
- 経済的ポストモダンの象徴がAgile Economyだとすれば、文化的ポストモダンの象徴はドゥルーズの「マイノリティ生成」である。それは、権威、国家、真理、大系へのクレームであり、それらの諸力が排除してきたエスニック・マイノリティ、障害者、女性、性的マイノリティが、発言の機会を得、政治的に結集していくことであった。このとき、個々のグループの統合原理は、アレントらが棄却した「善性」や「幸せ」である(多くの場合、心身の「特徴」は形式ではなく「善性」と「幸せ」に直結せざるを得ない)。それまでは国家と個人という二元論(実際は家族制度が厳然と機能していたという点で、この二元論は実は二枚舌なのだが)に切り分けられていた社会が、二重三重の複雑な帰属を前提とするようになった。このとき、理想的発話によって達成されうる共通の権力は、到達困難なものになっていった。
こうした経済ポストモダンと文化ポストモダンの折衷の結果として勃発したのが、所謂Culture Warsと呼ばれる「価値」と表象を巡る紛争である。つまり、「生産性(ポストモダンの)」という絶対的な評価基準が光臨する中で、なんとかこれまで価値観と生活を維持したい中産マジョリティと、これを契機として社会の再編成を狙うマイノリティの利害の全面的な対立である。無論、帝国内のドイツ、ユダヤの民族どうしは対立しても、その対立の契機をつくっているハプスブルグの支配体制にまではなかなか批判の眼が向かないのと同様、資本主義自体を批判することは困難であった。無論、価値Valueというのも生産性と並んで、ポストモダンのキーワードである。この二つの概念が重要視されていなかったらCulture Warsは存在し得ない。このことは、Culture Warsの主要局面が再生産と教育に関わる問題であったことを考えれば理解しうるであろう。特に、妊娠中絶を巡る論争は、こうした部分から描き直される必要があろう(中絶が隠蔽される日本においてこのモティーフは、年金などを巡る専業主婦バッシングという、やや喜劇がかったシナリオで再現された)。 - 3 :名無しさんの冒険:2004/02/21(Sat) 02:14
- age
- 4 :元5浪生(現在某地方国立大生):2004/03/16(Tue) 19:06
- >2
病院いけ。