ネオリカード学派

economy/0200 / 24 レス / 2001/03/03〜2001/03/15

1 :名無しさんのマーチ:2001/03/03(Sat) 23:43
ってなに?どんな本をよんだらいいの?
2 :ドラエモン:2001/03/04(Sun) 02:41
やめとけ。ホントにマジで、誠心誠意言うけど、それって経済学とは何の関係もない、暇つぶし
のための、趣味の世界だから。
3 :ドラエモン:2001/03/04(Sun) 02:43
あ、もしかしてバーローとかのことかしらん?それなら>>2 は撤回する。それこそ、齋藤誠とか
だろうね。
4 :名無しさんのマーチ:2001/03/08(Thu) 02:07
ネオリカード学派の勉強には、スラッファの商品による商品の生産を
読むんでしょうね
5 :名無しさんのマーチ:2001/03/08(Thu) 02:13
ネオリカード学派の貿易論の本が出ていたような気がする。
高増という人だったような気が。これはマインウェアリングが
はじめたことですよね。マインウェアリングの本は訳が日本経済
評論者から出ている。でもこういうネオリカードたちはすでに
化石になってしまっているのではないでしょうか?
6 :名無しさんのマーチ:2001/03/08(Thu) 02:20
>>3

レス読む限りバーロー
とかじゃない見たい…
7 :1:2001/03/10(Sat) 14:55
>それって経済学とは何の関係もない

はっ?なんで?
8 :ドラエモン:2001/03/10(Sat) 15:03
もう絶版かもしれないけど「新ケンブリッジ革命」マーク・ブローグ著を読んでみた?
その上で、まだスラッファを研究する必然性を見出したなら、教えて頂戴。
9 :1:2001/03/10(Sat) 19:14
おいらは数理マルクスだから趣味でもなんでもよい
10 :名無しさんのマーチ:2001/03/11(Sun) 01:47
スラッファのことは知りませんが、少し前にRESに
解の不決定性の論文が載っていました。昔ゲネアコプロキス?
の博士論文がよく挙がっていたものですが、その種の論文
ではないかと思います。世代重複モデルの不決定性の論文は
Kehoe(だったかな?)とかいろいろ昔ありましたが、
スラッファの場合も時間の重なり具合がそれと同じです。
できたt期にできた生産物はt+1期に生産手段として
並べられます。そのほかに新しそうなことは、大学の紀要を
ぱらぱら見ていて結合生産とかであるような気がしましたが
そんなこともシェフォールトあたりで停まっていることを
書き方を変えて書いているのかもしれません。(僕は素人
なのでわからないです)
11 :名無しさんのマーチ:2001/03/11(Sun) 01:48
スラッファの一般均衡理論は少し特殊ですね。
貯蓄手段として、企業にお金を貸して、企業は次の期に
それを様々な財を買い資本として用いるのに使うという
他部門の世代重複モデルになっていますね。
 生産関数は固定係数のベクトルで与えられる
のだけど一つのベクトルだけではなくて、可能な技術の集合として、
固定係数のスペクトラムが与えられ、その中でもっとも利潤が高く
なる固定係数のベクトルを企業は選ぶという具合です。
可能な技術の範囲が具体的でないところが普通の経済学とは
ことなるのかもしれないですね。
 まぁ古い本なので、ケインズの一般理論と同様、古臭いので
役に立たないと切り捨ててしまうのもどうかと思いますが、
現実の経済を理解することには訳にたたないので、僕は勉強しようとは
思わないです。経済学史の勉強には訳に立つかもしれないですね。
 「訳に立たないからやっちゃだめだ」というのは、あまりものを
考えない新古典派きどりの人がいう発言です。(ドラエモン様批判では
ありません。)2ちゃんねるを覗くと、マル経叩きが流行っています。
不況だから人の心がすさんでいるのか?と景気のことが気になります。
駄洒落ならもっとウィットの利いた駄洒落だと面白いのにといつも
思います。
12 :名無しさんのマーチ:2001/03/11(Sun) 01:50
「現実の経済を理解することには」と書きましたが嘘が混じっています。
現実の経済にはあまり関心がないように感じています。どうして勉強して
いるのかというと、できないことができるようになると楽しいからとか
なぁ
13 :ドラエモン:2001/03/11(Sun) 02:10
そう言う定式化って、スラッファの一般化というか、森嶋のマルクス解釈みたいなもんで、新古典派
の装備を輸入して見かけはもっともらしい姿に書き換えてるけど、どうなんかなぁーと思うんです。

少なくとも、菱山さんなんかが、スラッファを持ち上げていた理由は、価値決定の非主観性みたいな
ところにあった。新古典派でもケインズ派でも、視点は違え、主体均衡(最適化)は決定的に重要な
ものだが(もちろん、へなへな氏が強調するように、実証的根拠でその定式化の問題を指摘するのは
重要だけど)、スラッファ(本人はリカード解釈だろうが)的な問題意識は「生産構造という客観的
なものだけで価値を決定する」という点にある。

最大の問題は、ケインジアンを自称する一派が、なぜに、ある意味で新古典派以上に主観性を強調する
ケインズとスラッファを結びつけられるかが理解できないと言う点にある。むしろ、単に非新古典派
ならなんでも「ケインズ」と言ってるだけのようにしか見えない。そういう論理的な問題を真剣に考え
ない人たちは、頭は良くても、経済学をゲームだとしか考えてないのではないかと思う。

まあ、新古典派にもそういう傾向の人は多いけど、建前上は経験主義だ。その点で最低の自己規制は
存在すると思う。
14 :名無しさんのマーチ:2001/03/11(Sun) 02:49
スラッファが本に限界理論批判だとか書いてあったとしても
それを信じて自分も新古典派批判者にならなくても
良いと思います。ところでケインズを新古典派に対峙する
ものだとして捉えている人ってそんなに多いのでしょうか?
(つまりケインズが批判したから労働市場の清算を考えないんだと
いうほど、ケインジアンは皆ファンダメンタリズムを堅持しつづけて
いるのでしょうか?)(純な質問)
本の書かれた当時の時代背景に基づいて、本の見所を著者は
主張しているに過ぎないのではないでしょうか?
「生産構造という客観的なものだけで価値を決定する」
というのは限界革命以降の主観的なものは当てにはならないもの
だから消費を落とそうということだと思いますが、
そんなことしたら生産量は与件にしかできないじゃないですか?
それでは不完全です。
15 :名無しさんのマーチ:2001/03/11(Sun) 02:53
「頭は良くても、経済学をゲームだとしか考えてないのではないか」
というのは新古典派の理論をやっている人にならもっと当てはまり
がいいのではと思います。建前上は経験主義だというのなら
スラッファをやっている人にもあてはまるでしょう。具体的には
塩沢の「近代経済学の反省」という本、僕は読んだことがありませんが、
たぶん一般均衡理論批判のところでは、先物市場がすべての財に
あるわけはないとか書かれているのだろうし、価格を決めるのは
企業だ。企業は財の価格をマークアップ価格形成原理に基づいて
決めている。寡占での価格付けはこうだから、完全競争の価格付けより
現実的なのだとか書いてあるのだろうと想像しています。

モデルを思想と関連付けて勉強する必要はないと思います。
スラッファは一般均衡理論の応用モデルにしかすぎなくて、
ただやっている人が少なくて、とりまきの思想がいっぱい
贅肉のようについているというところでいかがでしょうか?

ただ、古典派経済学の集大成のようなところがあると思うので
これを勉強しておくと便利かもしれないと経済学史など勉強した
ことがない僕ですが思います。
 たとえば固定資本の扱いでうまく行っていない学説史上の本を
みたときには、スラッファは固定資本をトレンズにしたがって、
こういうふうに扱えることを示した。それをしなかったから
学説史上の本は矛盾に陥ってしまったのだとか、マルクスの地代
についても理解が深まるのかもしれないと無責任にも書かせていただきます
16 :名無しさんのマーチ:2001/03/12(Mon) 11:55
>10
ゲアナコプロス>ジアナコプロス=Geanakoplos
です。抜きん出て頭の良い人です。
17 :名無しさんのマーチ:2001/03/12(Mon) 22:06
前にも書いたけど、わたしゃ企業人だもんで、均衡理論の世界が理解できんです
ケインズやスラッファの方がピンときます
日々、負債が増えたり減ったりの鼓動は分かるんですが、これをバラバラにして
オプションだの負債の株式化だのアレコレ交換する世界が、手段としては分かる
んですが実感がまったく無いんです
均衡論の世界には、どうやったら入っていけるのですか?
18 :ドラエモン:2001/03/13(Tue) 02:18
ケインズはともかく、なぜスラッファがビジネスに関係します?
19 :名無しさんのマーチ:2001/03/14(Wed) 05:48
>均衡論の世界には、どうやったら入っていけるのですか?
「均衡論」はフィクションですので、その世界に入ることは
悟りを開くことが必要になります。なにも現実のことをしらない
人を学部で洗脳したり大学院入院させるのが、真理に近づけて
あげる一番いい方法です。また一度社会を知った人は斜に構えるので
根っからの信者にはなれないのではないでしょうか?そのときは
経済学は学問だから尊いのだという呪文を1万回毎日唱えていると
均衡を現実的なものとしてそのうち信じることができるように
なるようです
20 :ドラエモン:2001/03/14(Wed) 10:42
>19
資本主義が、ろくでもない政治家や大衆に支配されながら200年以上も続いてきたこと
を説明するには、何らかの自動制御システムの存在を想定せざるを得ないのは当たり前。
しかも、社会主義との経済的パフォーマンスの差を見れば、最適かどうかはともかく、や
はり何らかの効率性改善の自動的なメカニズムの存在を考えざるを得ないのも当たり前。
お経を唱えるのをサボりさえすれば新古典派から解脱できるくらいなら、苦労はない(w
21 :一企業人:2001/03/14(Wed) 22:33
その自動制御システムが、「均衡」なのでしょうか?
「効率」というのは、継続企業にとって必ずしも必要ではないです
「効率」というのは企業や組織や経済の本質ではないと思います
22 :ドラエモン:2001/03/14(Wed) 23:42
>一企業人殿

そうですか?効率こそが企業という組織の本質なのに、それを忘れたのが日本企業の問題
なのではないでしょうか?
23 :お尋ね者:2001/03/15(Thu) 21:21
どなたか教えてください。
日銀がダム論っていってるけど、ダム論って
いう考え方を実際に対外公表したり具体的に
示したことってありましたっけ?もしかして
マスコミとかが勝手に名付けたものなのかなぁ?
だって、ダム「論」っていうわりには、内容が
あまりにもなさすぎで。。。まさか対外公表とか
してるはずないと思いつつきいてみました。
24 :名無しさんのマーチ:2001/03/15(Thu) 21:26
>>23

なんで、このスレなの?
日銀スレあるのにさ。